異質なものの普遍性

 
‘作品と言える初めての制作は、おそらく大学二年生のときの動物制作課題《忘れ得ぬ人々》だと思う。それは、人間を確信できた瞬間だった。
 
同級生が無料パスを使って、動物園の生きものを粛々と写生し画に起こす中、折角のパスを放棄して、独りだけ大学の裏の野鳥店に通った。そこではウグイスとセッションを試みる匠が集い、誇らしげに小鳥と共同していた。おみくじ引きのためにヤマガラが学ぶ、つるべ上げ、鐘つき、鈴鳴らし。他にも、輪くぐり、かるた取り。落し籠にレモンで捕まった切ないメジロ。鳴き合わせで小さな歌手たちが切磋琢磨する。時がくるまで籠桶の闇に耳を澄ます。小鳥に芸を仕込んでたのしむ暮らしの中で、小鳥の視座を、野鳥店の人々は持っていた。
一方わたしは、芸をするさまざまな小鳥たちを、ただ、画面に並べて描くばかりだ。ところが、描いている過程で、小鳥では無い何かが立ち上がってくる予感があった。小鳥を描いていながらも、そこには、わたしたちが今はもう簡単には取り戻せない、小鳥から見た人々の姿を、映していたのである。それは人ではない、異質なものだ。山越阿弥陀よろしく、絵の向こうから人間―外部―が立ち上がるのを見た。
 
野鳥店はその後、野鳥保護法のもとに摘発にあって閉店し、空っぽの鳥籠だけが残された。
 
卑近なところにでも、向こう側の種子が転がっている。描くことは、異質なものの普遍性を信じて‘わたしを蒸発させ、身体を空虚な坩堝とすることだ。そのようにして、外部のものの訪れを、ただ、待つことができる。

 
『TANKURI 創造性を撃つ』「はじめに」より改稿